明治維新の「五箇条の御誓文」第1条「広く会議を興し、万機公論に決すべし」。これは新体制では議会制民主主義を採用すると宣言した内容ですが、実はこれに影響を与えたと言われているのが、ここから遡ることなんと530年前に菊池で作られた、菊池家憲「寄合衆内談の事」なのです。
これは13代武重が、南北朝の動乱の中で一家の団結力を高め、一族総力を挙げて難題に立ち向かうために制定した、3か条からなる起請文(誓文)です。その内容は、天下を揺るがすような大事は武重の決定を優先させるが、通常の内政は寄合衆の議決を尊重するというもので、この時代に既にそのような精神があったことが、日本初の血判起請文という形で残っています。
その後戦国時代に入り、菊池一族そのものは断絶してしまいますが、その精神は語り継がれ、維新十傑の一人、熊本出身の横井小楠から、坂本竜馬や五箇条の御誓文の起草に当った由利公正に伝わり、一か条として採用されたのです。
→菊池一族年代記「菊池家憲」