関ヶ原、川中島と言えば、いずれも日本史上大きく注目される大合戦ですが、これに並ぶものが九州で起こっていたことをご存知でしょうか。
筑後川の戦い。大保原の戦いとも呼ばれるこの合戦は15代武光が、宿敵少弐頼尚を破り、南朝方の九州制圧に王手をかけた合戦だったのです。北朝方6万余騎、南朝方4万余騎と伝わる九州史上最大の合戦となりました。
1359(正平14)年8月、真夏の陽光に照らされてひるがえる並び鷹の羽の軍旗に交じり、1本高々と掲げられた旗。そこには1枚の起請文がくくり付けられていました。
「今後子孫七代に至るまで、決して菊池に弓引くことはありません」
これはかつて一時的に同盟関係にあった少弐頼尚を武光が敵の手から救ったときに、頼尚本人から送られたものでした。その舌の根も乾かぬうちに離反した頼尚の浅ましさを敵味方に見せ付けることで、自軍の士気を上げ、敵軍の士気を削いだのです。
合戦は壮絶を極め、総大将である懐良親王も深手を負ったほどでしたが、武光の戦の手腕が十分に発揮され、南朝軍は華々しい勝利を飾りました。
合戦の後、武光は敵の血で真っ赤に染まった刀を、足元に流れる川で洗い流しました。その故事でこの地には「大刀洗」という地名が付き、現在でも町の名前として残っています。
※画像は小郡市埋蔵文化財調査センター蔵「大原合戦屏風」