鎮西探題は、少弐、大友の助けを得て武時の反乱を制圧し、一時の平穏を取り返しましたが、その後鎌倉幕府を巡る状況は急展開を迎えます。
4月、足利尊氏が後醍醐天皇について立ち上がると、天皇方が有利と見た者たちが次々に寝返り始め、幕府の崩壊は時間の問題になってきました。ここに来て、わずか70日前に幕府方として武時軍を滅ぼした少弐・大友勢は共に叛旗をひるがえし、鎮西探題に襲い掛かったのです。
この時、少弐・大友は、菊池にも鎮西探題打倒の誘いを出していますが、武重はそれを頭から撥ねつけました。
「父を裏切ってまだ三月も経たぬうちに、同じ鎮西探題を討つのに加勢せよとは……!厚顔無恥にも程がある!!」
その後、菊池以外のほとんどの武士達の猛攻を受けて、鎮西探題はあえなく陥落し、少弐・大友は倒幕の大功労者となります。
鎌倉幕府の滅亡後、後醍醐天皇は倒幕の功労者達を京都に呼び寄せ、論功行賞を行いました。この時、鎮西探題の打倒に直接関わることの出来なかった菊池家に、スポットを当ててくれた人物がいます。
天皇方随一の英雄、楠木正成です。
「今回の討幕で功を成した者は多くございますが、ここに並んでいる者は皆、命ある者ばかり。たった一人、帝のために命を賭して忠烈を示した武時どのこそが、第一の忠義者と呼ぶにふさわしいと存じます」
この助言を得て、武時の嫡男である武重は肥後国の長官である肥後守に任ぜられました。後醍醐天皇に認められ、父の死がここで実を結んだのです。
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