鎌倉時代末期の1333(元弘3)年、菊池12代武時は幕府打倒を掲げ、福岡の博多を攻めていましたが、土壇場になって味方の裏切りに遭い、絶対絶命のピンチに陥ります。それでも忠義のために討入を果たし、壮絶な死を遂げた武時。
そんな武時を、後に高く評価した人物がいました。倒幕の英雄・楠木正成です。彼と菊池一族が大きな縁で結ばれたのは、倒幕後の京都。論功行賞の席でした。
口々に自らの活躍を天皇にアピールする武将達を前に、正成が一言。
「ここに居並ぶのはいずれも素晴らしい活躍をされた方々ではあるが、皆命のあるものばかり。一人命を賭して天皇に尽くされた、菊池武時殿が一番の忠厚者ではないでしょうか」
この口添えを得て、菊池一族は肥後領主の座を手に入れます。
胸に刻んだ恩義に、一族が誠意を持って報いたのは、楠木正成最期の時でした。多勢に無勢で挑んだ湊川の戦い。戦火の中で、自刃を決意する正成兄弟のもとに、武時の六男・武吉が現れます。
「このような場に居合わせて、どうしておめおめと帰れましょうか。大恩ある楠木さまのお供を出来るのならば、本望!」
彼らの決意を悟った武吉は、正成兄弟と共に切腹を果たしたのです。
親譲りの、呆れるほどにまっすぐなその性格。その誠意は彼らの最期の地で語り継がれ、武吉は正成と共に湊川神社の祭神として祀られています。
- 菊池一族年代記「博多合戦」
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