そしてその助さんこと佐々助三郎が、菊池にやってきたという記録が残っています。その目的と考えられるのが、菊池一族に関する資料を閲覧すること。光圀の南朝びいきは有名で、南朝の英雄・楠木正成のお墓を建てたほどでした。南朝方で活躍した菊池一族についても調査するため、腹心の家臣を派遣したのでしょう。
その研究成果はしっかりと「大日本史」の中に収められ、その後の研究に大きな影響を残しています。
2016年09月05日
そしてその助さんこと佐々助三郎が、菊池にやってきたという記録が残っています。その目的と考えられるのが、菊池一族に関する資料を閲覧すること。光圀の南朝びいきは有名で、南朝の英雄・楠木正成のお墓を建てたほどでした。南朝方で活躍した菊池一族についても調査するため、腹心の家臣を派遣したのでしょう。
その研究成果はしっかりと「大日本史」の中に収められ、その後の研究に大きな影響を残しています。